まだ日が高くないが、5km離れた対岸はもうそろそろ賑やかになっている頃だろう。

そこでの喧騒が嘘のように、ここでは静謐な時間と空気が流れている。だからと言って寂しさが支配しているわけではなく、ぬくもりを感じるような、まるでBill Evansが弾くピアノの音のように優しい空気に包まれている。

ひとくちに河口湖と言っても、いろいろな顔を持っているのだ。

湖が海や川と大きく違うのは、水面（みなも）だと思っている。海や川の水面には起伏ができ、波立ち、場合によっては白泡が見える。しかし、この大きな湖面には波ひとつなく、紺色の巨大な鏡となっている。時折、水鳥が着水すると波紋が広がるが、まもなく1枚の鏡に戻る。

その鏡を大きく傷つけないよう、そうっとモーターボートで桟橋から離れ、湖の中央に向かってゆっくりと滑るように船を進ませているといつも思うのだ。午前中の静寂な湖面は自分の内面を反射しているのではないか、と。

心穏やかな時は、湖面を見ても心が揺れ動くことはない。しかし、自分では意識していなくても、感情の起伏がある時は水底に吸い込まれそうになり、心がざわつく。そのような時はボートの上でひとり静かに鏡と向き合い、心が落ち着くまでじっくり自分と向き合う。湖を自分ひとりのために使っているような、とても贅沢なひとときだ。

今、湖面を静かに走らせているボートの中には、2組のタックルがある。まさかこの齢からバス釣りを始めるとは思わなかったが、湖面が自らとの対話をするものなら、ブラックバスは自然と対話をするための手段のひとつだと思っている。

心が落ち着いた状態で五感を研ぎ澄ませ、1匹のバスの気配を感じ取る。そしてそこへゆっくりと船を近づけ、ルアーを投げ込む。1回のキャストでヒットすることはまずないので、どうしたら岩間や木陰から魚をおびき出せるかを考えながら、何度もキャストを繰り返し、ルアーで魚を誘う。

水中に潜むバスが、湖面を泳ぐルアーに興味を持ち、隠れ家から飛び出して追いかけるようなるか、ひたすら集中し、イメージする。そしてバイトし、釣り針から逃げようと身をくねらせ、陽の光が横っ腹に当たってきらめく瞬間、自分の心が一気に静から動へ躍動し、高揚する。サイズは関係ない。ランカーサイズでなくても、何年も自然の中で生き抜いてきた猛者だ。その個体との対決を制することが、自分にとって大切なのだ。

さて、今日の第1投目は、どちらのタックルにするかな。